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オモシロ たんけん倶楽部



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江戸時代の鳩ケ谷の偉大な人物
 
『小谷三志』を訪ねて


富士山に初の女性登頂を実現させた三志

富士山が世界遺産に登録されて、にわかに注目を浴びているのが、江戸時代後期の鳩ケ谷の偉人・小谷三志。
三志は、富士山信仰と実践道徳を結合させた不二道の指導者で、四民平等、男女平等の思想を教え、女人禁制だった富士山に女性初の登頂を実現させた偉大な人物でもあるのです。
そこで、川口文化財センター分館・郷土資料館や三志のお墓がある地蔵院、小谷三志の研究家でもある岡田博さんを訪ねて、三志翁の偉大な功績をたどってみました。




「小谷三志ってどんな人か知ってる?」
「もちろん!江戸時代の社会教育者でしょ。郷土資料館でも鳩ケ谷の偉人として紹介されてるよ」
「でも三志がどんなことをした人なのか、具体的には知らない人が多いんじゃないかな」
「そういえばそうね」
「実はこの間、NHKの歴史秘話ヒストリア<富士山に魅せられて>で紹介されてたんだけどね、女人禁制だった富士山に高山たつさんという女性を連れて登頂したのが小谷三志なのよ」
「へえ〜そうなの。それは知らなかったわ。たつさんが、女性初の富士登山者なのよね」
「当時は、女の人は富士山に登ることさえ許されなかったのよ。だから三志は、たつさんを男装させて富士山頂上登山に成功させたんだって!」
「すごい!その時代に勇気ある行動よね」
「でしょ。三志は『この世は女の人で持つ』と言ってるのよ。田畑では女の人が男に負けず働いている。町で繁盛している店はみんなおかみさんで持っている。着物を考えれば、蚕を飼うのも糸を取るのも女の仕事、木綿をつむぐのも布に織るのも女の仕事、縫って着物にするのも女の仕事、この世は女で持っている...って説いたそうよ」
「なるほど、それで富士山の女人不浄説を壊そうとしたのね」
「そうなの。女の人が自分の価値を知って、世の古いならわしを壊さなくてはならないと思ったのよ」
「エライ!そんな人が鳩ケ谷にもいたんだね」
「あのNHKの番組はね、三志の研究家でも知られる岡田博さんが、昔『山と渓谷』という雑誌に<富士に初めて登った女・不二道者小谷三志と女人開山>と題して6ページに渡って書いたものが、元になってるらしいよ」
「そうなんだ、たつさんもエライけど、それを実行させた三志はもっとエライ!」


最初に私たちが訪れたのは川口文化財センター分館・郷土資料館。
鳩ケ谷本町の鳩ケ谷商工会の隣にある小さな資料館です。
小谷三志の展示室は3階にあります。
三志は、鳩ケ谷宿で麹屋を営む小谷太兵衛の長男として生まれました。
やがて富士講に入り、30代半ばには、鳩ケ谷を中心とした富士講の一派・丸鳩講(まるはとこう)の先達になりました。
しかし、当時の富士講には満たされず、新たな信仰を模索、43歳の時に、参行録王と出会い、後に不二道として結実する、新たな信仰のてがかりをつかむことになったのです。
「湊家さんは、小谷三志の末裔なんでしょ?」
「そうよ。初代は小谷三志の三男なんだって。今は六代目かな」
「この銅像が小谷三志なのね。掛け軸なんかに描かれてる三志とはちょっと違う感じだね」
「これは昭和16年(1941年)の没後100周年記念に作られたものなんだって。川口市在住の彫刻家・富田匠さんが制作したのよ。当時の湊家当主とそっくりだったという言い伝えがあったんだって。それで、その話をもとに作られたそうよ」
「そうなんだ。さすがに温和な顔立ちだね」
「二宮尊徳とも親交があったんだね。桜町陣屋の二宮尊徳に招かれて、説法をするって書いてあるよ」
「三志は尊徳に多大な影響を与えたと言われててね、尊徳の先生だったという人もいるのよ」
「ふ〜ん、じゃあ、もっと有名になってもいいのにね」


「三志が描いた富士山の絵もあるよ。富士登山123回を記念して書いた書だって」
「<孝行をなすは駿河の富士のみね その名もたかき三保の松原>って書いてある。ねえ、なすのところが絵文字になってるよ」
「ホントだ。なかなかユニークだね」
「三志は士農工商、男女の区別なく、すべての人間は平等だと説いてるのよ。そして、人間は、ありとあらゆるものから恩恵を受けていて、それらに感謝して、目上の人を尊び、贅沢を言わず、人のためを思い、自分の仕事に精を出すことが、社会の平和と自分の幸せになると教えたんだって」
「これが臨終のときの三志ね。見沼通船掘左配役でもあり、国学者の高田興清や家族、弟子達に囲まれてる。小谷三志の弟子は5万人とも10万人とも言われるほどだったんだもんね」
「三志の教えは弟子たちに受け継がれ、明治時代には、不二道孝心講と名を変え、勤労奉仕や義援金を被災地に贈るなどの社会奉仕活動をしていたそうよ」
「私たちも三志の教えをもう一度勉強しなくちゃね」
資料館では、富士山が世界遺産に登録されたのを機に、三志と富士山にまつわる掛け軸などを展示しています。


郷土資料館を出て、次に向かったのは桜町にある地蔵院。
ここには小谷三志のお墓があります。
二つの大きな自然石を重ねただけの質素なお墓ですが、市の指定文化財になっています。
「立派なお墓は建ててくれるな、文字を刻まず、丸石一つをおいてくれればよいって遺言したんだって」
「ふ〜ん、故人の遺志が守られたお墓なんだね」


三志を語る上で忘れてならないのは、鳩ケ谷南一丁目に住む岡田博さんの存在。
そこで岡田さん宅を訪問してみました。
今も古文書に取り組む岡田さんは84歳。
小谷三志との出会いは、昭和47年に鳩ケ谷市の文化材保護委員になったときからで、もう40年以上にもなります。
それまで、小谷三志の教えを本格的に研究している人はいなかったのですが、岡田さんは小谷三志の古文書と出会い、三志関係文書の活字化に積極的に取り組みました。
三志にまつわる資料も収集され、富士講不二道研究の第一人者となったのです。
平成2年(1990年)の三志翁150年忌記念には、『はとがや三志さまご伝記』を発刊されています。
岡田さんの書斎には、『よねのしらげ』という書が飾られています。
「これはどういう意味なんですか?」と聞いてみたら、
「これは三志の文字を彫って作ってくれた人がいるんですよ。私はこの言葉が好きでね、尊いお米さえも身をすり減らして、美味しく食べて貰おうとしているんだから、それを讃え、学べと言ってるんですよ」
三志は数多くの言葉を残していますが、『恩礼 朝夕に是を忘れたまうな』(三志筆)は県指定文化財にもなっています。


「忘れられた思想家」だった小谷三志、
今回のオモシロたんけん倶楽部は、偉大な鳩ケ谷の先人の教えを辿ってみる旅になりました。
みなさんも是非、郷土資料館に行ってみてくださいね。




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