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ハト豆ねっと


川口再発見!
 『すごかるた』でめぐる川口



『や・ゆ・よ』の旅



「一日の計は朝にあり」
これは近代漢学の礎を築いた江戸時代の儒学者・安井息軒の言葉ですが、『川口すごかるた』でめぐる川口再発見の旅、第7弾は、川口ゆかりの人物・安井息軒から始まる「や・ゆ・よ編」。
その足跡をたどりながら、見沼通船掘や縄文時代の原形を留める貝塚などもおススメの散策コース。
お正月は、川口の歴史がいっぱいの『川口すごかるた』で楽しもう!




江戸時代後期の儒学者・安井息軒は、江戸から明治へと日本が大きく変わろうとした時代に、近代漢学の礎を築き、江戸に上京してからは「三計塾」で学問を教え、次世代を担う数多くの優れた人材を輩出しました。
その業績は江戸期儒学の集大成と評価され、有名な言葉には、「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり」があります。
息軒は、慶応4年(1868)、明治維新の混乱を避け、川口市領家の高橋善兵衛宅に移り住みました。
滞在した家は、息軒が「息焉舎(そくえんしゃ)」と名づけ、百数十年を経た現在でも、ほぼ当時のままの姿で遺されています。
滞在は9カ月ほどでしたが、領家村の人々に学問を教え、滞在中の日記『北潜日抄』は埼玉県指定有形文化財になっています。
その子弟の一人「河原順信」は、川口の教育の礎を築いた人物で、その功績を讃え領家小学校には彼の銅像が建てられています。
「息軒は日光御成道まつりのときに、川口にゆかりのある人物として登場してるね」
「そうなのよ。私もよく知らなかったんだけど、息軒は宮崎県の宮崎市清武町の出身で、それが縁で平成15年から、川口市と宮崎市清武町の文化交流事業が始まったそうよ」
その名も『川口市・清武町小中学生文化交流使節団』。
毎年、清武町と川口市の小中学生が相互に訪問をして、交流を深めています。
「清武町では、安井息軒の偉業をまとめた『息軒カルタ』もあるそうよ」
カルタの制作にあたっては、川口の子どもたちも協力。
日本の将来を担う子どもたちにも息軒の教えが受け継がれているんですね。
そうそう、息軒の妻の佐代は、森鴎外の歴史小説『安井夫人』のモデルにもなっています。
興味のある人は読んでみてね。





川口市には、小谷場貝塚、新郷貝塚、石神貝塚、前野宿貝塚、江戸袋貝塚、猿貝貝塚など、縄文時代の大規模な貝塚がたくさん見つかっています。
縄文時代は海面が現代より高く(縄文海進)、海に面していない埼玉にも海が入り込んでいて、多くの貝塚が形成されていました。
小谷場貝塚は、海進がもっとも進んだ縄文時代前期の代表的な貝塚で、石器などの遺物やハマグリ、ハイガイなどを主体とする貝塚が発見されました。
新郷貝塚は、埼玉県を代表する縄文時代後・晩期の貝塚遺跡で、U字形に並ぶ三つの貝塚からできています。
土偶、石斧、装飾品も出土し、貝の層が2メートル以上と市内では最大規模の貝塚です。
埼玉県史跡にも指定され、現在は新郷若宮公園として整備されています。
散策路にも白い貝殻が散らばっているので、是非探してみてくださいね。
「昔は、川口も海だったのね」
縄文時代後期の関東地方は、貝類を中心とする漁撈生活が盛んな時代であり、その頃の生活を知る上で貴重な歴史的遺産です。






見沼通船堀は、徳川吉宗の命を受けて、井沢弥惣兵衛が享保16年(1731)に東西の見沼代用水と芝川を結んで完成させた日本最古の閘門式運河です。
見沼用水と芝川には約3mの高低差があるため、東西各2つ計4つの関(閘門)を設け、水位差を調整して船を運航させました。
この運河の完成により、米や農作物を江戸へ、江戸からは肥料や日用品などが運ばれました。
そして見沼田圃が造成され、付近は豊かな農村へと変貌を遂げたのです。
「同じ方式のパナマ運河よりも180年も前に完成してるんだって!」
「すごいね。高低差を調整するなんて、素晴らしい」
「ブラタモリにも登場しそうよね」
現在は、巨大な木製閘門(枠)が復元され、国指定史跡になっていますが、川口から浦和に続く見沼代用水沿いは桜並木が続く美しい散歩道。
どの季節に訪れても素晴らしい散策コースです。




『あ・い・う・え・お』の旅
『か・き・く・け・こ』の旅
『さ・し・す・せ・そ』の旅
『た・ち・つ・て・と』の旅
『な・に・ぬ・ね・の』の旅
『は・ひ・ふ・へ・ほ』の旅
『ま・み・む・め・も』の旅



*一部写真(安井息軒・北潜日抄、貝塚遺跡の発掘)は、川口市のホームページからのものです。




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